マンガの買い方。
1巻から読まないの。とりあえず最新刊を買から。と、言ったらビックリされた。つまんなかったらそれでおしまいにすればいいかなと。だって、人気があっても最初の頃って面白くなかったりするし。途中から読んでも話がわかるようにできているし。
1巻から読まないの。とりあえず最新刊を買から。と、言ったらビックリされた。つまんなかったらそれでおしまいにすればいいかなと。だって、人気があっても最初の頃って面白くなかったりするし。途中から読んでも話がわかるようにできているし。
『新教養としてのパソコン入門 コンピュータの気持ち』山形浩生
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山形さんの文章は読みやすい。少しくだけた話し言葉。油断すると、とんでもない方向に脱線する。その振れ幅が気持ちいい。そういえば、結城さんもブログではこんな感じの文章なんだ。心の中ではハッカー口調と呼んでいる。
コンピュータというのはわからない人にはわからない。そのギャップを埋めるピースのひとつになるかもしれない。逆をいえば、わかる人にはわかる。コンピュータの気持ちがわかるという。つまり、相手の身になって考えられるということだ。そうなると、おうおうにして、人の気持ちがわからなくなってくるというジレンマもあるらしい。
車が好きな人は車のことをよく知っている。同じような感覚で、コンピュータのことを理解できる人がいる。わかるというのは、肉体的にわかるということだ。ワードとかエクセルの使い方を知っているという話ではない。
パソコンではなく、コンピュータと書いた。パソコンはコンピュータの部分集合だ。パソコンを知るということはコンピュータを知るということ。車を知ることがエンジンを、内燃機関を知るように。
コンピュータはひとりぼっちだという。暗い箱の中、自分が何をやっているかさえわからず命令されるままに働いている。そういう存在だ。そして、それはつながりを求めている。人や、他のコンピュータと。それがコンピュータの意思だとしたら……。きっとスカイネットとかHALとかとんでもない方向にいっちゃいそうなのでこっちの話はおしまいにしよう。
コンピュータと人とをつなぐもの。かっこつけてマン・マシン・インターフェースなんて呼ぶこともある。わかりやすくいうと、キーボード、マウス、それにモニターなんかのことだ。よく誤解されるけど、こいつらはコンピュータの本体ではない。ノートパソコンなんて一体型だからそう思われやすい。だけど、キーボードに計算なんてできない。ただ、「押されたよ」っていう信号をコンピュータに伝えているだけ。
で、受け取る側は何を押されていたかを理解する必要がある。解釈するためのプログラムをデバイスドライバという。
ずっと目の見えなかった人が手術を受けて、病院のベッドで包帯が取れたとたん「見える!見えるぞ!お、お母さん」とか言ってみんなで抱き合って涙を流す、というような映画やテレビがあるけど、そんなことは実際には起きない。
初めて目に入るものは、単なる色のついた模様でしかないという。人の形を知らない。顔というものを見たことがない。もちろん、触れば包帯だってわかるけど。触ることや、聞くことでしか、外の世界を認識していないからだ。その人は、これから膨大な量の学習によって見える世界を知覚する必要がある。
ちなみに、視覚情報というのは上下さかさまに入力されているらしい。ちょうどピンホールカメラのように。正しく見えるように思えるのは頭の中で上下を補正しているからだ。というのが最近の脳科学の見解だとか。
面白い実験がある。上下さかさまに見えるメガネをかけているとはじめのうちは、とても気持ちの悪い世界が見える。しばらくすると、脳が勝手に補正してあべこべの世界でも正常に見えることになる。もちろんメガネを外しても同じ現象がおこる。
どういうことか。目というからだの機能。ハードウェアは何も変化しない。変化するのは解釈するしくみ。ソフトウェアのほうだ。人間にもデバイスドライバがあって、それは自動的に書き変わる。コンピュータは、自動的に書き変わるなんてマネはできない。誰かが書き換えをしてあげる必要がある。それが人間だったりするわけだけど。
人が視覚で世界を理解するには、大変な学習が必要である。もちろん人はそれを意識はしていない。学習のプロセスは成長の過程で実施されているからだ。デバイスドライバも同様に大変な学習というか、教育のようなものが必要である。だけど、そんなの使う側がする必要はない。どこかの誰かさんが親切で、あるいは仕事で作ってくれているからだ。そういうものがあることを知っていればいい。
知っているか知らないか。ほんとうは、それだけの違いでしかない。デジタルデバイドの正体みたり。
昔々の話。手ごろな値段の中古ノートをみつけた。ディスプレイはモノクロ4段階。もちろんwindowsなんてまだなかった。
毎日のようにお店のガラスケース越しに眺める。そういえば、ショーケースの向こうのトランペットをうらやましそうに眺める少年というCMがあった。
コンピュータのことはそれなりに知っていた。けど、パソコンで何ができるかなんてよくわかっていなかった。漠然と、何でもできるんじゃないかと思った。
あの頃、誰もパソコンを持っているヤツなんていなかった。相談できる人も、背中を押してくれる人もいなかった。自分で考えて自分で決めた。バイト代を貯めてエイヤで買う。
もし、あのときにパソコンを買わない。という選択をしたらどうなっていたのだろう。うーん。考えるだけで恐ろしい。
好きな言語を使ってよいとのこと。Cはメモリとかいろんなことを考えなくちゃいけないので却下。一番、得意なJavaで挑む。位置づけ的にはプロトタイプなのでこれでよいかなと。1日、2日でできる分量でもないし。
普段使いのJavaとは少し違う。Byte型なんてまず使わない。簡単にStateをあらわすクラスを書く。メッセージで持ちまわすので最後まで弄ることになると思う。全体像をみたくて、勢いにまかせてテキトーに組む。2、3回は作り直さないといけなくなるような予感。
しばらく書いていないと、書き方を忘れるのだろうか。ヤル気があっても技術がないというのはこうゆう状態を指すのかもしれない。
ゼロから動きだすのは基本ステップからやり直すのが定石。もどかしい。
しばらくは自宅で安静とのこと。社会復帰はしばらくお待ちを。
パソコンメールもスカイプその他。しばらくつかえません。連絡はケータイまで
明朝体は論外
背景は真っ白
フォントの種類は増やさない
(メイリオがいいかも、ただしXP環境では注意)
色は極力使わない
強調するならフォントサイズ
しゃべることを全部、書かない
おまけ
ノートPCをプロジェクタに接続してスライド表示する。スライドがノートPC側に表示される場合の回避方法
[スライドショー]-[スライドショーの設定]
「複数モニタ」の「スライドショーの表示」の「主モニタ」以外に設定する
http://www.atmarkit.co.jp/fwin2k/win2ktips/1040dualdisp/dualdisp.html
ビジネスモデルというものは、意外と奇をてらったものはないような気がする。後づけの理屈といっしょで出来上がったものをみると「なんだ、そういうことか」と文句をつけることができる。「最初に思いつくこと」というのも実はそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。ほんとうに難しいのは「最後までやりきること」こっちのほうが大変だ。たとえば、億単位の赤字を出しても信じてやり切れるか。そう信じて実行できるかが、問われている。よく言われていることだが、いわゆる成功本でも書いていることはそんなに目新しい内容はない。本を読んだだけで成功しないのは誰も実行しないから。結果がでるまで続けることができないから。それと同じなのだろう。
ブルーオーシャンはいつかはレッドオーシャンになる。赤くなる前にあたらしいフロンティアを探さなければならないとしたら、「ブルーオーシャン探し」それ自体がレッドオーシャンなのかもしれない。