査読論文を提出してきた

全125ページ。読めるものな読んでみやがれってんだ(^^)

ダメ出しもあるだろうし発表資料とか作らなくちゃいけないんだけど、一区切りついたような気がする。2年前と比べて何か変わったのだろうか。ちゃんと真摯に向き合えただろうか。ちゃんとレベルアップできたのだろうか。

こういう一区切りついた瞬間は何もかもが真っ白になる。気持ちににムラッ気があるのは悪いクセだ。もうひと踏ん張り、残り一ヶ月がんばる。

自分の知らない言葉は検索できない

デジタルな世界は能動的に動くことを是とする。受身で情報収集していてるのならアナログな世界で情報を得ることと変わらないない。yahooニュースでニュースを知ることと、朝のニュース番組でニュースを知ることにそんなに違いはない。

インターネットで、わからない言葉に出会ったときに瞬時に検索できるって言うよね。だけど、よくよく考えればニュース番組だって丁寧に解説してくれているじゃないか。

本屋さんで何気なくとった本が世界を広げてくれる。そんな感覚をネットの世界に持ち込んだのがtwitterなりMIXIなりの友達がしゃべった言葉だ。

デジタルな検索の世界には偶然の出会い、セレンディピティがない。もちろん、そこに挑戦する動きも当然のごとくある。twitterの中から重要っぽい言葉を重み付けして、自分の発言を係数にしたら、みたいなアルゴリズムを考えるのが次世代検索エンジンなんだろう。

検索のインプットが単なる単語、キーワードでは足りなくなった。人が面白いと思う感覚は千差万別だ。「面白い画像」に対する検索結果がすべての人にとって同じ結果ではなくて、わたしだけの結果であること。自分の発言やネット上での行動から文脈、コンテキストをキーにする。そういう検索方法っていうのが今後生まれてくる。

そんな検索エンジンが実現できたとして……

そこで自分も知らない結果が突きつけられたら?
自分でも気づかなかった新しい「面白い画像」であればいい。例えば、とんでもなく猟奇的な画像を「面白い画像」の検索結果として突きつけられたらどうなるだろう。

技術は使い方である。コンテキスト検索が自分自身の持つ闇の感情やネガティブな思想を呼び起こすプログラムだとしたら、その結果を直視できるだろうか。

ソーシャル・ネットワーク

マーク・ザッカーバーグは「世界で最も若い10人の億万長者」のひとりである。「ソーシャルネットワーク」は彼が大学時代に作ったWebアプリケーション「facebook」とそれにまつわる物語だ。

彼の在籍するハーバード大学限定で始まった「facebook」は瞬く間にキャンパスを席巻。少しづつサービスを拡大し数年で5億人が使うアプリケーションにまで成長した。世界人口が69億人。世界の14人にひとりが使っている計算である。

誰もが使いたがるソフトウェアは金のなる木だ。「facebook」が成長していく過程で買収の話は幾度となくあった。売れるソフトウェアに買収の話はつきものである。いかに高値で大企業に買われるか?大学発のベンチャー企業が考えるゴールのひとつだ。

しかし、自分のチカラでゼロから生み出したソフトウェアはエンジニアにとって宝物である。会社ごと売り払って大金を手にするか、会社を存続させてソフトウェア開発を続けるか。2択を迫られる。10億ドルを突きつけられて平気な人間などいやしない。そういうギリギリの葛藤の世界だ。

この映画の面白いところは、主人公の行動原理がハッカー的な思考にもとづいていることにある。ビジネスマンであるよりもプログラマーであることに価値観を置く。さきほどの買収話もそのハッカー的思考にもとづいて判断をくだす。その考え方は共感を覚える。

いままでにいろんなビジネス書を読んできてしっくりとこない理由がわかった気がした。。ビジネスマン的思考はわたしのモノの考え方にそぐわない。自分の考え方はプログラマーのそれであり、エンジニア的思考のそれであり、ハッカー文化のそれである。立ち居地がそこにあること確認することができた。

「シンプルにやれ」

エンジニアはもっと自由であっていいんだと思う。