アイディアの拡散と収束

妄想というのはどこまでも広がる。どれだけ広がるかはその人のポテンシャルで決まる。アイディアはとことん出し切る。素材みたいなものかもしれない。その素材をどう料理するか、みたいな次元で考えたらよさそうだ。

ひとつやふたつのアイディアは誰にだってだせる。100、200になるまで出し尽くす。

広がった妄想をどこまで現実に落としこめるか。ということなのかもしれない。

アイディアを出しているときは出すことだけに集中する。途中で料理をはじめてはいけない。料理は料理で専念する。ポイントはそれぞれのパートを独立させること。

想像の限界

ネットワークの伝送制御についてだ。多重化とか変調の話を聞く。
知ってはいるけどなじみのないキーワード。うん、苦手だ。

頭の中で想像しなくちゃイケナイのはわかっている。メモリの内部構造とかポインタのあたりならだいたいはイメージできる。が、ネットワークがらみになるとどうも、うまく絵が書けない。

たいてい、ネットワークはすでに存在してあって使うだけのことが多い。ある意味、わたしがお客さんだ。たまに不通があってもping飛ばして、担当者に連絡、終了というパターンがおおかった。

だいたい、ネットワーク機器、高いし。
でも、仮想化が進行すればウチらでもバンバンと触る機会がでてくるかもしれない。覚えておくなら今のうちだ。

ほんとうにそれは必要なのか

昼間は仕事でレビューをした。夜は大学院で課題報告のプレゼンをする。パワポを使うのは久しぶりだ。つい、張り切りすぎて余計なスライドをいっぱい作ってしまった。

持ち時間の縛りはない。が、授業前に軽くやる。みたいな空気が漂っていたので若干あせる。早口でしゃべるのは緊張しているというなによりの証拠。

お題は、問題のあるDFD(As-is)をあるべき姿であるDFD(To-Be)に直せというもの。考え方はそんなに間違っていなかったように思う。先生の模範解答と比べると、データやプロセスの流れにはあんまり着目していなかったことに気づく。

わたしの作ったものは、プロセスとか、データストアとか「何か」が欠けていないか?という。宝探しをしていた。もっとデータフローである矢印にも着目するべきだったのだ。フローが正しいのかと。

プロセスやデータストアが「名詞」なら、データフローは「動詞」かもしれない。

最初にみたAs-isの図に囚われてそこの発想がまったく出てこなかった。「あるべきものがない」は、みつけやすいかもしれないが、「ないはずのものがある」というのは意外とわかりにくいもんだと思う。

ああ、こうゆうのってコナン君の推理でよくやっていた。

まずは歴史から

大学院というのはアカデミックにできている。ネットワークの話をするのに長波、短波から入っていく。衛星中継から、海底ケーブルまで。世界は広大であるが、その隅々にまでネットの網は広がっているワケだ。

こうゆう大規模な設備は、個人レベルでどうこうできる問題じゃない。重要なのはこの大規模設備が自由に使えるってことだ。ネットの海へ流すパケットは、自分だけにしか作れない情報でありたい。

平行と並列

物理的に同時に走るのが平行。タイムシェアリングは並列とのこと。

音楽を聴きながらキーボードを打つのは平行。おやつを食べながらキーボードを打つのは並列だな。で、口のなかにモノを入れたまま次のおやつをつまむのはパイプライン。

vi行番号関連

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みゅーじしゃん

guiter.jpg

ポインタ変数

宣言 int *a; < 型> *< 変数名>

&a ポインタ変数のアドレス
a 代入されたアドレス
*a 代入されたアドレスの値

OSや、他のプログラムが利用しているアドレスを指定することはできない。
ゴミデータが入るため、初期化していないポインタ変数はまともに使えない。

ポインタって参照渡のためにある。という理解でいいみたいだ。

バッファオーバーフローの危険性と引き換えに?

『シニアの読書生活』鷲田小彌太

読書万歳みたいな論調はどうでもよくって、計画読書というはアリかも。基本、乱読ベースでネットサーフィンするみたいに本を読んでいるが、今年はこの人みたいな追いかけかたをしてもよいのかもしれない。特に小説とか。

そういえば、毎年、今年はこのプログラミング言語と自分で決めて勉強する友がいることを思い出した。

あたらしいこと

入学式の日。早期講習とかセミナーで何度か足を運んだキャンパス。
あらためて「おめでとうございます」と言われるのがくすぐったい。

これは、どちらかというと「けもの道」ではなく「高速道路」のほうだ。最速で抜けるための準備はしてきたつもりである。出口までまっすぐ走るべし。